★金持ちが何代も続くための「原理原則・法則」の話の具体例です。
「商家の家訓」 山本眞功 監修 青春出版社 185ページより抜粋します。
◆公共事業には資力を惜しむ勿れ 公益・慈善の勧奨
虚栄心でなく、誠意を以って行え
徳を郷里に与えることは祖先伝来の教訓である。陰徳を施し公共慈善の事業には進んで財を投ぜよ。(岡山の豪農で銀行を設立した土居家)
社会の公益を計り、慈善を尽くし教育を奨励すべきこと。
世の富者を見るに、ややもすれば蓄財に走って、社会公益の何たるかを知らず、あるいは他人を苦しめて独りだけ利益を得て、世の指弾を受けても全く意に介することのない者がいる。
また表面上は社会のために尽くし、あるいは慈善を行っているように見えても、実際にはただ虚栄心にかられ、虚名を買おうとしているだけの者がいる.
前者が咎められなければならないのは当然だが、後者もまた一人の偽善者にすぎない。
すべては公益を図り、慈善を尽くすことを第一に、心より湧き出てくる誠意に基づいていなければならない。(湖北長浜の下郷家)
いまあげたような、公共事業や慈善事業の奨励も商家の家訓によく見られるものである。
実際、歴史上には公共の利益のため、惜しげもなく私財を投じた商家が少なくない。
「日本一の大地主」本間家や、「日本の造林王」土倉家がその代表といえる。
越後の大地主、市島家も不文家憲で教える
本間家と並ぶ大地主といわれたのが、越後の豪農・豪商であった市島家だ。
元々家業は、小さな薬屋だったが、商才に恵まれた喜右衛門が大薬問屋に成長させる。
「日本三大金持ち」の一人にも数えられた市島家。代々伝わる不文家憲のなかに、質素倹約の奨励、謙譲の徳の涵養などとともに、公共事業に関するシンプルな教えがある。
公共事業には資力を惜しんではならない。
市島家がこの家訓をどのように実践したかを見てみよう。
天明六年(一七八六)、幕府の下総手賀沼開拓事業に二千両を献上。この功によって名字帯刀を許され、三人扶持を受けた。
江戸城西の丸炎上の際には五百両を献じ、本丸建築にも五百両を献上した。ほかにも品川湾の砲台建設に千五百両を投じ、学校建設や貧民救済などにも多額の寄付をした。
市島家の代々当主は家訓通り、公共事業に資力を惜しむことはなかったわけだ。
この点においても、本間家と双壁だったといえる。
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