前回余命3ヶ月の宣告をされて良かったと書きましたが、その後の経過報告。
余命宣告をされる前でも事業承継対策をやってきましたが、やはり本気さが少しかけていました。
エンディングノートも書くとは言いながら筆が進まず、いい加減な状況でした。しかしもう死が目前に迫っています。自分が死んだ後会社はどうするのか、営業は、経理は、資金繰りは、得意先や従業員などの人脈構築など準備すべきものはもの凄くあります。
そして葬儀はどうするのか、お寺はどのようにするのか、お墓は新家のためまだ無い。
お墓をつくるには墓地の敷地の取得から墓石も決めないと行けない。誰を葬式に呼ぶか、その後の法要はどうするのかなど、一般に云われる相続対策、特に財産分割と節税対策どころではなく、目先の細かいところが気になるのです。
お寺とお墓の話を家族で話しているときに異変が起きました。
妻からどうせ死んだらお終いなのだから葬式は簡単で良いよね。また、お墓は息子が子供がいないので家が続かない、だからどうせ無縁仏になってしまうので散骨でいいじゃないと言ったのです。
あと少しで人生が終わっていく人に対して、「葬式簡単で、お墓も無くて良いよね」との言葉でビックリ。私は、今から逝く人の本当の実感は無いものの、葬式も簡単で散骨では余りにも寂しいと思います。
本人はやはり時々はお墓にお詣りをしてほしいと言っている。世の中お墓の中に私はいませんという歌があるように、人間死んだら終わりと考える人が多くなっています。これでは先祖を敬ったり感謝する気持ちも消えてしまい、目先の自分だけ、目に見えるものだけを考えることで家が潰れていき、社会が壊れ国が壊れてしまう。終活といいながら死んだらお終いというのはどこかおかしい、家族関係もズタズタに切られてしまって未来の日本が心配になっています。