・人間は死んだらお終いではない、なぜ先祖供養や年忌があるのか。
日本人はお正月やお盆になると民族大移動で、都会から田舎に帰ります。
そして家に帰るとまず先祖を祀ってある仏壇に手を合わせます。孫達は両親がお詣りしている仏壇に何も判らず、手を合わせてナムナムと云います。
この習慣が大袈裟には何百年も続いているのです、勿論江戸時代などの移動が制限されている場合は別ですが。
何で先祖を祀るのでしょうか。時々本当は意味が無いのだが先祖からやってきたので続けているという方がいますが、本当でしようか。
もし意味が無ければ仏教が伝来しお寺が出来てから千何百年も続くのでしょうか。
意味が無いという方は、知らないという事ではないでしようか。
代々続けているという事は意味を知っている方がいて、それを続けさせる習慣を作る事によって間違いなく代々続かせるという仕組みを作ったのでは無いかと思います。
誰が続けているかを知れば何かあると感じるのでは無いでしょうか。
一般的なお寺や仏壇屋さん、又は先祖供養しなさいという占い師などの云うところの意味はその人達に任せて、私は誰が長い事続けているかを知る事で何か意味があるのではと言う事を確認したいと思います。
ネットで探しただけでも次のようにありました。
京都泉涌寺では、歴代天皇の祥月命日には御霊祭法要が行われています。
先祖供養は大手企業の会社の創始者のところは必ずといっていい程されています。
徳川家なども毎年、日にちを決めて先祖供養をされています。
平成2年而妙斎、利休400年忌をつとめる。三千家合同の法要がおこなわれ、京都国立博物館で「千利休展」が開催される。
井伊直虎の命日に、菩提寺の龍潭寺(浜松市北区)で、直虎の435回忌の法要が営まれました。
探せば切りが無いほど法要があります、そして旧家・名家と言われるほどしっかりと先祖供養をしています。これは何か意味がある事と思えませんか。いまマスコミで言われている散骨とか墓じまいをしたらどうなるのか、先祖供養するしないどちらが本当に大事か、騙されてはいけないと思います。