家系を護る田分けブログ
「相続対策は家が滅べば意味が無い、家系・先祖・子孫を護ることが最優先である」

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2019.07.23更新

現在曾野綾子さんが提唱者となって「親守詩(おやもりうた)」というものを全国に広げる活動があります。
親守詩とは、子が親に対して自らの気持ちを歌に詠んだり、エッセイにしたりして伝えるのです。第六回の受賞作品で、香川県高松市の中学校一年生の女子生徒が「『うっとうしい』をこえての『絆』」というエッセイを書いています。それをご紹介したいと思います。

「女の子って、めんどくさい。」 そう思ったのは、中学校に入ってすぐだった。
トイレに行くのにも、教室移動のときも、登下校もずっといっしょに居ないといけない。たまには一人で居たいときもあるのに。
ある日私は、そんな思いをママにぶつけてみた。するとママは、お皿洗いをしていた手をとめて、「ここに『絆』って字をかいてごらん..」と、ホワイトボードを指さし言った。そして私が『絆」の字をかくと、ママはその横に『し』とつけたした。
「『絆し(ほだし)』っていうのは、『うっとうしい』って意味なの。みんな『絆し(ほだし)をのりこえて『絆』をつくるんだよ。」と言った。
心がスッキリしたような気がする。ママありがとう。
だから私は、そんな関係を友達とつくりたい。ママと私のように。」

この女子生徒の母親のいう通りです。うっとうしい絆しを突き抜けて,本当の絆のある社会が生まれるのです。そこから逃げ出して社会に助けを求めるのは本当の絆のある社会ではありません。それが「自助から共助、共助から公助へ」という日本型福祉社会のビジョンです。私も、その方向性が正しいのではないかと思っているのです。

最近よく言われている「美しい日本の心」とは何かと考えると、一番の核にあるのは「親心」と「孝心」であろうと思います。つまり、親が子を思う心と子が親を思う心です。この親と子の心の絆こそが「美しい日本の心」ではないかと思うのです。その絆を取り戻すことが喫緊(きっきん)の課題になっているのです。
山上憶良(やまのうえおくら)は『万葉集』で「銀(しろがね)も金(くがね)も玉も何せむに勝れる宝子にしかめやも」と詠んでいます。また、吉田松陰は辞世の句で「親を思う心に勝る親心けふのおとつれ何ときくらん」と詠みました。処刑に赴く自分を憐れんで悲しんでいる親心のほうが親を思う心よりも深いという気持ちを詠んだのです。

そういう、親が子を思い、子が親を思う温かい気持ちが日本を支えてきたのだと私は思っています。
この気持ちはイデオロギーを越えています。『蟹工船』を書いた小林多喜二は特高に捕縛されましたが、面会に来た母親の「お前の書いたものは間違っていない」という言葉を聞いて、「お母さんは自分を信じてくれた。だから僕は天国に行く」と言って死んでいったといいます。母親が自分を全面的に信頼してくれたから、自分は天国に行くことができると信じたのです。その意味で、これも親心です。親心が子供を育てていくのです。」(引用おわり)

このような親子の絆があれば、親子で争う相続問題がなぜ起きるかと思います。しかし残念ながらこの親子関係すら壊されてしまっているのです。

投稿者: 税理士法人あけぼの

2019.07.20更新

「日本が二度と立ち上がれないようにアメリカが占領期に行ったこと」  髙橋史朗著 致知出版 2014年版からの引用です。

 最近「絆のある社会」とよくいいますが、絆の意味が十分には理解されていないのでは、と思うことがあります。本来の「絆」(ほだし、きずな)とは、馬が逃げないように縛り付けるロープを意味しています。つまり、絆とは束縛することを意味しているのです。

曽野綾子さんが平成二十四年一月一日の産経新聞の「正論」という欄で、その件を非常に明確に指摘しておられます
「絆の第一歩は、年老いた親や親戚縁者や友人を、災害の時には引き受けることだろう。そもそも、絆の基本は、親と同居することだ」
「絆はそれによって得をするものではない。相手のすべての属性を受け入れることだ。(中略)美点も難点もすべて受け入れることが、絆を大切に思う姿勢というものだろう。絆を求める心が、自分になにかを与えてくれる人を期待しているとしたらそれは間違いだ」
「絆は、むしろ、苦しむ相手を励まし、労働によって相手を助け、親切に語り、当然金銭的な援助さえもすることなのである。受けるだけの関係など絆ではない。むしろほんとうの絆の姿は、与えることなのである。自分が与える側に廻ることを覚悟するとき、人は初めて絆の中に立つ」
「ほんものの絆は、相手のために傷つき、血を流し、時には相手のために死ぬことだ(中略)絆は自分の利益のために求めるものではない。むしろ自分の安全や利益などを捨てた時に、人間は絆の深さを示して輝くのである」「悲惨な地震と津波が濃密な現世に引き戻した、としたら、それは我々の人間性復活のための大きな贈り物と考えたい」
 今は「子ども手当」をあげましょう、育児と介護は社会が担いますよ、というようなものが絆のある社会だと誤解されているのです。つまり、足りないものを社会に求め、求めたものが与えられるのが絆のある社会だというふうに誤解されている。でも、それは絆の意味を取り違えていますよと。この曽野さんの指摘は非常に鋭いものがあります。(次回へ続く)

投稿者: 税理士法人あけぼの

2019.07.17更新

 相続で失うものと得るもの、「お金では買えないもの」があるのです。
遺産分割で争って得るものはお金財産だけです。失うものは親子関係、兄弟関係、人間が生きていく上で最も大事なものは家族や親戚関係や友達など人間関係なのです。
これが切れてしまうと精神的不安定になり、自分探しの旅に出たりするのです。孤児の人々がどのように生きてきて、どれ程精神的に不安であったか。この世に自分はたった一人であり、頼れるところ相談するところがないのがどれ程不安や悲惨になるかを考えて下さい。


目先の欲に駆られた今の自分では思いつかないかも知れないが、自分の子供は伯父さん叔母さんや従兄弟などの関係を切られてしまうとしたら。親子先祖の関係は見えないからないのではなく、間違いなく存在しているのです。喧嘩して墓参りも出来なくなれば根っこを切られた木と同じです。時間が経てば徐々に枯れてくるのです。


運が良いのも親の七光りがある事を覚えて下さい。

家族が崩壊すると、地域社会も崩壊し、最後はこの日本が崩壊するのです。

いま自由という名の基に好き勝手に生きている人がいます。その自由は安定した社会がある事で存在するのです。
国家が崩壊すれば自由どころか安定した仕事や食料や安心して暮らすことすらなくなるのです。
国という守がなく流浪の民として悲惨な生活を送ってきたユダヤ人だからこそ家族の絆が大事だと言っているのです。いま私達は何でも自由で何でも買えると思っていることは錯覚なのです。家族があり国家があるからこそ自由も安全もあるのです。


失う前に大事なことを考えて下さい。「絆し」があるから「絆」があるのです。

投稿者: 税理士法人あけぼの

2019.07.13更新

最近マスコミで最後は一人とか、家族は邪魔とか家族をバラバラにするような報道とか本の出版が目立ちます。日本中の至るところで現実に家族関係が壊れたのを見ている中で、だめ押しでやっぱり家族なんか最後は一人と宣伝することで二度と戻らなくなってしまいます。
バラバラになったら弱くなり、外敵から身を守れなくなる事をイソップ物語は教えています。
「こころの朝」木村耕一著 1万年堂出版の本の中に次のような話があります。

「三頭のウシを食べたライオン」 人生にこんな場面ありませんか

「イソップ物語」は、子供向けに作られた話ではありません。本当は、大人へ向けた、生き方のアドバイスだったのです。イソップは、二千五百年ほど前の人で、ギリシャの奴隷であったといわれています。弱い立場にあった彼は、動物を利用した例え話を作って、メッセージを発信していたのです。

三頭のウシが、いつも並んで草を食べています。
ライオンが、このウシを襲おうとしました。
しかし、百獣の王であっても、ウシが団結して向かってきたら 逃げるしかありません。

ライオンは、考えました。
「これは、力では勝ちめがないな。つまり、あいつらを、バラバラにすればいいんだ。
何かいい方法はないだろうか……」

次の日から、ライオンは、草の陰に隠れて、ウシが仲間から離れるチャンスを待っていました。
そして、一頭に近づいて、「君のことを、彼らはバカにしていたよ」と、ささやいたのです。
次の日、ライオンは、別のウシのそばへ行って、「君の悪ロを聞いたぞ」と教えました。

最後の一頭にも、「彼らは、君の文句ばかり言っている」と告げたのです。
ウシたちは、最初は、「ふん! そんなことはないさ」と聞き流していました。

ところが、ちょっとしたことでぶつかった時に、
「ライオンが言っていたことは、本当かもしれないな」という思いがわいてきました。

一度、疑いが出てくると、
「どうも、おかしい」「いつもと、違うな」 と、何でも悪いほうへ、悪いほうへと
拡大解釈するようになってしまいます。

やがて、ケンカが始まり、三頭のウシの心は、完全にバラバラになりました。
「おまえの近くになんか、いたくないさ」と言って、
わざと距離を置いて草を食べるようになったのです。

ライオンは、忍耐強く、この時を待っていました。
悠々と一頭のウシに襲いかかります。
かみついて、引きずっていっても、残りの二頭は、仲間を助けようともしません。
悲しいことに、団結を失うと、やがて自分の命が危なくなることに、誰も気づかなかったのです。
やがて二頭めが殺され、三頭すべてが、ライオンの餌食になってしまったのでした。

悪口を言う人に会ったら、このライオンのような、恐ろしい人だと思って、
遠ざかったほうがいいのです。
自分の悪口が聞こえてきても、気にしないようにしましょう。
真に受けて、友人や仲間を疑い始めると、人間関係が壊れ
てしまい、すべてがダメになってしまうのです。

 

投稿者: 税理士法人あけぼの

2019.07.10更新

 

 前回余命3ヶ月の宣告をされて良かったと書きましたが、その後の経過報告。
余命宣告をされる前でも事業承継対策をやってきましたが、やはり本気さが少しかけていました。
エンディングノートも書くとは言いながら筆が進まず、いい加減な状況でした。しかしもう死が目前に迫っています。自分が死んだ後会社はどうするのか、営業は、経理は、資金繰りは、得意先や従業員などの人脈構築など準備すべきものはもの凄くあります。

そして葬儀はどうするのか、お寺はどのようにするのか、お墓は新家のためまだ無い。
お墓をつくるには墓地の敷地の取得から墓石も決めないと行けない。誰を葬式に呼ぶか、その後の法要はどうするのかなど、一般に云われる相続対策、特に財産分割と節税対策どころではなく、目先の細かいところが気になるのです。

お寺とお墓の話を家族で話しているときに異変が起きました。
妻からどうせ死んだらお終いなのだから葬式は簡単で良いよね。また、お墓は息子が子供がいないので家が続かない、だからどうせ無縁仏になってしまうので散骨でいいじゃないと言ったのです。
あと少しで人生が終わっていく人に対して、「葬式簡単で、お墓も無くて良いよね」との言葉でビックリ。私は、今から逝く人の本当の実感は無いものの、葬式も簡単で散骨では余りにも寂しいと思います。
本人はやはり時々はお墓にお詣りをしてほしいと言っている。世の中お墓の中に私はいませんという歌があるように、人間死んだら終わりと考える人が多くなっています。これでは先祖を敬ったり感謝する気持ちも消えてしまい、目先の自分だけ、目に見えるものだけを考えることで家が潰れていき、社会が壊れ国が壊れてしまう。終活といいながら死んだらお終いというのはどこかおかしい、家族関係もズタズタに切られてしまって未来の日本が心配になっています。

投稿者: 税理士法人あけぼの

2019.04.17更新

 私と同じ年の社長が相談に来ました。最近調子が悪くて医者に行ってきた、色々検査をした結果癌が進行して手術も抗がん剤も効かない末期の状態になっている。ほぼあと3ヶ月くらいしか持たないと言われてどうするかの相談でした。

その方は死については日頃から考えていて、また佛教の極楽浄土へ確実にいけるという後生の解決をされているといわれ、普通の人のように死の恐怖がほとんどないようでありビックリするくらい落ち着いての相談でした。
相談内容は会社を息子が同様に引き継ぐか、残された奥様への対応や、葬式などの対応などでした。まず開口一番「癌で良かった、あと3ヶ月は時間がある、これが心筋梗塞や脳卒中では準備も出来ず終わっていた。」と言うことです。
勿論その通りですが、「後生の解決」の威力はびっくりするくらいの落ち着きでの対応が出来るものだと感心をしました。このことは後日もっと調べたいと思います。

そして3ヶ月間何をどうするかを色々話しながら、「とろこで以前エンディングノートを皆さんに渡してあるがどうされてますか?」と聞いたところ、「貰った記憶はあるがどこかに行ってしまった」とのこと。そんなもんですね、自分が死ぬとは思っていないから書かないのが現実、しかし今回エンディングノートを一緒に書き方を説明すると真剣に聞いているし、自分で何を書くかのイメージも湧いてきてました。やはり自分の命がないとの現実が目の前に来ないと出来ないものですね。

 

投稿者: 税理士法人あけぼの

2019.04.13更新

 

 お客様で高齢の父の相続対策を実行していました。不動産を取得してそれを貸し付けて一気に相続税の軽減を図る予定でした。今年の税制改正案で不動産を取得してそれを貸し付けた場合の小規模宅地等の評価減の規定の適用が、相続開始直前の取得については適用除外の可能性が出てきました。たまたまその特例を受ける内容の話があり3月31日までに行う予定で動いていました。
売買契約が終わりその後残代金の引き渡しと名義の変更をあと一週間後に行うつもりでいた時、突然相続予定者であった父が亡くなりました。あと7日間生きていてくれたら相続対策は完了したのに誠に残念な結果に終わりました。

売買契約は残された相続人が引き継ぐことになりましたが、相続税は対策が出来ないまま高額な納税となる予定です。日頃常に人はいつ死ぬか分からないから対策は早めにと言ってはいましたが、現実にあっという間の出来事がおきたことでますます早めの対策が大事だと実感しています。

 

投稿者: 税理士法人あけぼの

2019.04.09更新

 知り合いの税理士が亡くなった、訃報の連絡が来たが「葬式は家族葬で執り行われました」と事後連絡であった。なんでこんな事になってしまったのか。都会では既に3分の1以上が家族葬だと言われています。家族葬は簡単で低価格で出来るからが受けているとのことですが、これではあまりにも残された家族が惨めになっていく。

この人間社会は多くの人たちの人脈で成り立っているのです。自分たちだけの家族だけでなく親戚縁者、地元の隣近所、会社などの職場関係、趣味などの関係、その他多くの人間関係がありその中で生かされてきたのです。もし亡くなったとしたらその関係にきちんとけじめをつけなければならないのです。また親戚関係もいつ何時世話になるか世話をするかが分かりません。人間個人では弱いものです。日頃は付き合いが薄くても何かあったときには血は水よりは濃いのです。
また生前亡くなった方からの恩義がある人は、その家族に何か有ったときには力を貸してくれるかもしれません、そのような人間関係を保つのが冠婚葬祭なのです。
それを家族葬で済ませましたからと言うことでは、自分からそのような貴重な人脈をブチブチに切ってしまっているのです。
人間関係を構築するのはものすごく時間とお金がかかります。せっかくの人脈を目先のお金に目が眩み切ってしまうことは余りにも勿体ない。

 

投稿者: 税理士法人あけぼの

2019.04.06更新

 民法には法定相続割合が公平であり、その割合が良いなどとどこにも書いてないのです。
しかし税理士や弁護士などの専門家の本やブログでは、「民法で決められた法定分割割合は、民法で「このように財産を分けるのが一番よい」と決めている分け方です。」と書かれているものが多くあります。

これこそが罠に嵌まっている考え方なのです。基本的人権とか男女平等とか兄弟平等とかの先入観があるので相続でも権利は同じだと考えてしまうのです。これを権利だと思っているから争いが始まるのです。
親の財産を公平に引き継ぎというのであれば、均等ではなくそれぞれの事情を考慮した上で分割しようとなるのですが、もらえる権利と思うから争いが起きるのです。
均等だから駄目であり公平になってないのです。
また権利と思うから欲が出てくるのです。

法定分割で分けたそれぞれの法定相続人の取り分を法定相続分といいます。
 必ず法定相続分で遺産の分割をしなければならないわけではありません。
 ただし法定相続分は、相続税額を求めるときや、相続人同士の話し合いで合意しない場合の法律上の目安となるので、きちんと理解しておく必要があります。
 

投稿者: 税理士法人あけぼの

2019.04.02更新

 均等や平等は何となく理解できましたが、実際問題としてどうも納得がいかない。
子供にケーキを分け与える時はお母さんはどうして不満がないように分けているのかな。

子供達にはそれぞれ言い分があり、同じ子供だから均等に分けるべきと云うのも一理あります。
しかし長男は身体が大きいから多めに、次男は甘いものが嫌いだから少なめに、三男は小さいから食べきれる大きさでと言うように、子供の体格や好き嫌いなどで公平になるように分けていませんか。

次男は次回おせんべいを分ける時は、ケーキが少なかった分だけチョット多めに分けるという事で、より公平性を保っていませんか。

そう言えばゴルフのハンディも全員が競技において、誰も同じ確率で勝てるようにと、競技を行う前にハンディを計上してますね。これが単なる均等・平等ではなくて、勝負の世界の公平なのだと思います。
勝負の世界には公平に勝てるようにしているものと、絶対的に強いものが勝つというものがあります。
相撲は強いものが横綱でありハンディはなく、競艇やボクシング等は重量制限を設けています。
オートレースもスタート位置が違う場合もあり、将棋は駒落ち、囲碁は置き碁など世の中は強ければよいというのでは有りません。また単純な均等・平等は弱肉強食の世界にも繋がり、人間社会はみんなが幸福となるようにあらゆるところでハンディキャップ制度が取り入れられています。

では相続財産を分ける時は「均等」「平等」が良いか、「公平」が良いか。
当然公平の方が後で文句は言われないし、喧嘩もしないですよね。
喧嘩をするのはどうも納得がいかない気持ちがあり、それが解決されず嫌な気持ちが長引いているからです。これが長引けば長引くほど、今度のお年忌は行きたくないとか、盆暮れの親戚の集まりもチョット気が向かないと言う事になるのです。

やはり「均等の世界」はあまり良いとは思われません、「平等、公平になるように」考えなくてはいけないと思います。(日本語の平等と公平の解釈が難しい所であります)

投稿者: 税理士法人あけぼの

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